北海道の道北に位置する羽幌町。現在羽幌町の中心部は日本海側。漁業と農業が盛んな町。サンセットビーチから見る夕陽が美しい町だったりします。
現在(2023/1月末時点)の羽幌町の人口は6333人程ですが、かつては炭鉱で栄えており、羽幌炭鉱は羽幌本坑、上羽幌坑、築別坑の3地区があり、炭鉱が盛んな頃の羽幌町の人口は約3万2000人。
その中でピーク時には築別地区だけでも約1400世帯6000人も暮らしていました。(上羽幌地区2800人、羽幌坑4300人)羽幌の町から築別炭鉱地区へ娯楽や、買い物に来るほど栄えていたそうです。
築別炭鉱は羽幌町の現在の中心部から山奥20km程奥に進んで行くとあります。道路の青看板にも築別炭鉱の文字が残されています。築炭鉱は羽幌炭鉱の中で一番栄えていましたが、炭鉱閉山後1-2年でほとんどの人々は築別炭鉱から離れており、すぐに無人集落(廃村)へ。現在は多くの遺構が今も眠っています。
超有名な炭鉱アパート群
多くの遺構が残る中『太陽小学校+体育館』、『羽幌炭鉱鉄道病院』、『炭鉱アパート』は有名でTwitterやInstagramなどSNSで見た事がある人も多いのではないでしょうか。
中でも森の中に今も残る炭鉱アパート群は、地球の終わりを連想させるような不思議な空気が流れているかのよう。
炭鉱アパートは現役時、当時では珍しい水洗式のトイレなど、設備が最新でしたが建ってから1年程しか利用されずに炭鉱が閉山、役目を終えてしまいます。なんとももったいない話ですね。そして一年ほどでほぼ無人地帯へ。6000名が一年程で引っ越していく様は、凄まじい光景だったでしょうね。
そうして、6000人も暮らした土地は、熊や鹿などの野生動物が暮らす場所となっています。(探索事、熊のフンや足跡を発見しました。。)
北清寮という鉱員住宅も
炭鉱アパート群から川沿いを1キロ進むと北清寮という200名以上が収容可能な寮の遺構が。昔は、売店も入っていたというその建物は恐らく鉱員の憧れの寮だったと思います。
今はコンクリートの床と壁以外は植物に侵食され、当時の面影は残っていませんが…。
築別浄水場までは藪漕ぎ必至
北清寮から先は笹薮ジャングル。道を間違えると川の方へ真っ逆さま。足元を気にしつつ、周囲にも五感全てに神経を研ぎ澄ませ進んでいくと、浄水場が見えて来ます。
築別浄水場は別格
見るからにして雰囲気が違う、異様とも思える雰囲気を醸し出していました。
周囲は小高く斜面があり、鬱蒼と茂っている草木に囲まれ、苔がついているコンクリート遺構は雰囲気抜群です。
一階は配管室。様々な太さの配管がつながっており、ここが何となく水に関する施設だというのは伝わるかと思います。
こちらはアクセラレータという機械。昭和29年に開発され、一般的な浄水場で使われていたらしい。高速擬集沈殿池とも言われている様です。
このアクセラレータに薬剤を投入し、水の中の不純物を取り出す(浄水、除濁する)為に使用されていたらしいですが、今は使われる事は無くなったとのこと。
※見どころがとにかく多い築別浄水場。写真を多く撮りたくなるのはよくわかる。
ニナ(himajine_syasai)でした!←※Twitterもやっています!ブログよりも新鮮な写真をアップしています。良ければフォローしてくださいね♪
最後にYoutube動画見てって~♪
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