北海道・床丹(トコタン)ニシン漁の記憶と雪に沈んだ集落を歩く旅記録

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廃墟遺構・限界集落・廃村・廃駅など『廃関連』

北海道の日本海沿いに位置する小さな集落、床丹。
今この地を訪れても、地図に記される情報はほんのわずか。
かつてここにはニシン漁で栄えた活気ある町が広がっていたという。
その記憶をたどるように、雪解けの進む3月、海沿いを歩いた。

床丹のバス停と待合室。

朝の光がまだ硬さを残している時間帯。
バス停のそばに立つと、足元から静けさが染み込んできた。
待合室の中には誰もいない。
イスには、かつてここで何度も腰掛けた誰かの温もりが、まだ残っているように思えた。

何も語らない建物たちが、語ることをやめてしまった道が、
けれどそこに確かにあった生活を無言のまま証明していた。

── 海沿いの道が語るもの ──

小屋の背後には海。
果てなく続くような水平線のその先に、当時の暮らしが見える気がした。
道はどこまでも続いているように見える。
雪を踏みしめる足音が自分の呼吸と重なって、遠くへ吸い込まれていく。

きっと、この道を毎日通っていた人たちがいた。
漁から戻る父親を待っていた子どもたちもいたのだろう。
潮の匂い、寒風、灯油のストーブの匂い。
いや、石炭のストーブの時代かもしれない。

日々の風景が、
冬の空気の中に溶け込んでいた。

ニシン漁で栄え300戸も住んでいた町に、
いまはほぼ誰もいない。
けれど不思議と、寂しさというよりも、
静かな敬意のような感情が胸を占めていた。

── 延命地蔵堂──祈りの痕跡 ──

国道沿いから集落に入って行くと、赤い鳥居が立っている。
その奥にあるのは延命地蔵堂。
その扉はしっかりと閉じられていた。

人の気配はない。
けれど誰かがここを守り続けていることは明らかだった。

鳥居の朱は剥げ、
今にも板壁の一部は風に押されそうだ。
その古びた姿こそが、
長く祈りが続いてきた証のようにも思えた。

どんな願いがここに置かれたのだろうか。
健康、漁の安全、家族の幸せ。
積もった雪の下に、
小さな手が合わせられた記憶がそっと眠っている。

屋根のキレイさ、隣の小屋と対比して見ると、
まだ現役、、、たまに使われる事もある…?
と想像できた。

── 雪に埋もれた家並みの向こうに ──

道をさらに進むと、
いくつもの小屋が並んでいた。
形はしっかりしているが、
生活の気配はそれ程感じられない。
扉の前には雪が積もり、
誰も開けていない時間の長さを物語っていた。

一軒一軒が、
まるでそれぞれの“時間の部屋”のように見えた。
ここで暮らした家族がいて、
笑い声が響き、
夜には灯りがともっていたのだろう。
そのすべてが今は静かに、
けれど確かにこの風景の中に沈んでいた。

家々の間を歩くと、
雪の中に残る動物の足跡がいくつか見えた。
この場所が、
完全に「終わってしまった」のではなく、
いまも何かがここで“暮らしている”という証のようだった。

【終わりに】

帰り道、
海からの風が頬に触れた。
集落の家並みは、
雪と光に包まれて静かに佇んでいた。
振り返っても誰の姿もないけれど、
ここには確かに人が暮らしていた痕跡が残っている。

遠くの空はうっすら春めいていた。
海も、建物も、
次に来たときはまた少し違って見えるかもしれない。

いつかまた来ようと思う。
それだけは自然に決まっていた。

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