みなさんおはこんばんちは。ニナ(@himajine_syasai)です。
今回お届けする場所は、
北海道石狩市厚田区聚富にある石狩油田(厚田油田)の遺構と、
聚富海水浴場をお伝えします。
ここはかつて聚富村(しっぷむら)と呼ばれた場所らしく、今では廃墟や瓦礫が多い場所です。
そんな場所へ探索に行った様子を撮った動画や写真があるので、
冒険好きな皆さんにお届けできればと思い久々にブログにアップさせていただきます。
聚富村までの道中
今回の車載動画は小樽から石狩聚富まで車で約1時間半、
その途中、小樽市銭函3丁目から石狩市厚田区聚富まで行く簡単な車載動画をアップしたので良ければご覧ください。
上の動画を見ていただければ、聚富村という場所が大体お分かりいただけたかな?と思います。
で、ここからが皆さんに見ていただきたい本編。
とあるサイトによると、この厚田区聚富という場所は、
石狩市厚田区にある望来、ここはアイヌ語のモライ(静かな・死んだ川)を語源としており、同地区に流れ込む旧知津狩川は正に死んだ川のように流れを感じさせません。この旧知津狩川の河口北側に無煙浜が存在します。潮の流れによって水死した無縁仏が多く打ち上げられた事により名づけられた地名だそうです(その他、メノウ、琥珀、石炭などの鉱石もうちあげられてます)。この無煙浜は昔、フラトマリと呼ばれていました。アイヌ語で「匂いのする浜」の意味を持つフラトマリが今回の厚田油田所在地になります。http://umeketya.blog93.fc2.com/blog-entry-13.htmlより
匂いのする場所、、死んだ川というアイヌ語を見る限り、
昔からこの地域は今と変わらない場所だったのかも…?
そして現在この近くの浜は「無煙」浜という字になっていますが、
上のサイトによると昔無縁仏が打ち上げられていた。
しかし無縁ではなく無煙浜という名前になったことからも、
勝手な想像ながらなかなか香ばしい場所だったのかもしれないですね。
一番下に探索編の動画も貼っておきますのでそちらもご覧ください。
聚富にあるシンボルタワーのサイロ。
石造りでしっかりした建物です。他の建物が朽ちているのに対しこの通りの存在感を放っています。
サイロがあることからここで酪農がされていたのか?と思ってみたりもしますが、
浜風も強く、油田があった所での酪農ができるのだろうか?と思ったりもします。
(そういうものに詳しくないので知っている方、ここをご存知の方教えていただければ嬉しいです。)
過去の航空写真
過去の航空写真を見てみたいと思います。
まずは1993年の聚富村の航空写真。この時は既に厚田油田は閉鎖されています。
この写真で見る限りではキレイで青々とした緑に囲まれ
酪農が出来なくもないように見えます。
1993年の航空写真
画像左側が聚富村で画面中央右にある縦線が現国道231号線です。
25年程前は画面で見てわかる通り今よりは建物がしっかりと残っていますね。
そして1993年は平成五年。下の動画のオープニング部分で聚富村緑化保全工事という看板をアップした場面があるのですが、その工事が行われていた年です。
ということは既にこの時はここはほぼ誰も居なかった場所なのでしょう。
1947年の航空写真
では更に昔に遡ってみてみます。
画像左側が聚富村、雲に隠れて見えづらいですが、真ん中らへんに細い道みたく見えるのが
当時は無かった現国道231号線です。
聚富村には建物が多く存在してるのが分かると思います。ただそのすぐ横に
大きな沼?池?がありますね。
1993年の写真では全く見えない事から埋め立てたのでしょう。
その名残が時を経て今再び所々顔を出している。
それが小さな池の正体だったんですね。
そして油田の場所だと思われるところが深い谷のような影になっています。
1947年は操業中。あの谷の奥から石油が湧き出てたと思うとロマンを感じます。
2009年の航空写真
最後に2009年の航空写真です。
大きな沼もなく、油田の跡と思われる谷も無い。今の石狩市聚富となんら変わらない姿です。
航空写真を見て過去と現在を比べながら下の動画を見ると、
より聚富村(?)のことを知りたくなるでしょう。
最後は何がなんだか、、、何を言いたいのかわからなくなっちゃいましたが(笑)
こういう廃墟や廃村、不思議な空間が好きな人にはぜひ一度行って自分の目で確かめてみてほしいと思います。
動画では伝えきれない空気感、音、雰囲気がびんびんと伝わってくるはずです。
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