スケキヨツアー(北の細道会)に参加してきた!(昭和炭鉱・浅野炭鉱)

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道央

みなさんおはこんばんちはニナ(@himajine_syasai)です。

先日、Twitterの北海道の炭鉱界隈では第一人者(カリスマ)と言えるスケキヨ氏が主催する
通称スケキヨツアーに参加してきたので、この様子をブログで紹介させていただきます。

通常、youtube内でアップしてからブログで公開という流れを考えていて、実際そのようにしてきたのですが、

あまりにも楽しいツアー(無料)だったことと、早くお伝えしたい!という気持ちが勝ってしまって、動画編集が追いつく前に、、この場所やツアーに対する熱が冷める前にお届けできればと思い、記事にした次第です。

昭和炭鉱とは

かつて北海道沼田町に存在した炭鉱、留萌炭田の一つ。

1930年に開業し、1969年閉山。閉山ですら今から50年も前の話である。
国内有数、道内では大夕張炭鉱に並ぶ良質な石炭が排出されていた場所。


雪の多い地域ということもあり、隧道マーケット(トンネル内に市場がある)が発達している地域。恐らくここ以外で隧道マーケットが有名な場所は無いだろう。

※ちなみにその一番大事な隧道マーケットは写真が上手く撮れなかったので後日youtube内の動画でご確認を。

ニナ暇人チャンネル

かつてこの山奥には3000人~という人間が暮らしていたという。

炭鉱街の多くは、平成が終わり令和の今、ほぼその形は消え、
所々見えるかつての形跡は土台のみのところが多いが、
昭和炭鉱にはこのような炭住後は今も力強く残っている。

炭鉱街にある炭住。かつてここには沢山の人が暮らしていた証でもある。

このように床が崩れ落ちていて非常に危険。

昭和炭鉱ホッパー跡。

スケキヨツアーで見えたもの

沼田町のとある林道に車を停め、ひたすら山奥へ進んで行った。
1時間強、林道を歩いて行くと明らかに自然にできることはない人工物の土台が所々あった。

その後、博物館で見た過去の写真と、現在を比べてみると、当たり前ながら
過去の面影はほとんどなし。

スケキヨ氏は、過去の数少ないデータを、現在に当てはめるべく足を使って日々探索している。その労力たるは計り知れない。

助手曰く「当たりはずれは普通にある」ようで、
自分のような廃墟探索でちょっとはずれを引いたのとはわけが違うレベルだ。
自分のような人間は損した気分になりやる気が著しく半減するのだが彼は違うようだ。
なんせ、一時間以上山中をさまよった挙句、違ったというのは普通にあるのだというから、驚くしかない。

それを無料で一般開放するスケキヨ氏のパワーは並外れていると思う。

この世界でカリスマといわれるレベルの人間の世界を垣間見た気がする。
今後も彼はTwitterや彼のサイト上北の細道で募集するので気になる人は是非一度ご参加を。

浅野炭鉱とは

1930年(昭和5年)創業開始。留萌鉄道も敷設される程の街を形成した。
1968年、昭和炭鉱の一年程前に閉山。その後留萌鉄道も廃業した。

隧道マーケットで有名な昭和炭鉱とは違い注目度はイマイチ?かもしれないが、
留萌炭田の中心地である。

現在はダム湖・ポロピリ湖の湖底に沈んでいる施設が多い。
上の画像はダム湖から半分顔を出している施設(自分には何か分からないが)を上から撮影したもの。

浅野炭鉱の坑口の一つらしい。

下の画像は浅野炭鉱でスケキヨ氏が発見した謎の穴。
一緒に探索するとこういうものを間近で発見することがあるのでワクワクがとまらないツアーだった。

ちなみに奥は水没している。恐らく、ダムで水没した水位がこの場所なのだろう。

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