美唄市我路。国のエネルギー政策転換前の昭和の時代に栄えた町。
この周辺だけでかつて数万人も住んでおり、小中高校はもちろん、映画館などの娯楽もありました。
しかし、今ではほぼ数世帯の住民がいるのみ。かつての繁栄はどこに行ったのか。昭和の夢の跡と言ってもいいのではないでしょうか。
後半の記事はコチラ→美唄市我路『冬の沼東小学校』は美しかった(円形校舎)後半
沼東小学校
沼東小学校は美唄市東美唄町にあった公立小学校で1906年に盤之沢簡易教育所として開校。
当時は20名の児童数です。
その後、1947年に現在の校名に変更。現在の校舎は1985年竣工。
ピーク時には総学級数が29、児童数が1570名程というマンモス校に。
合計4棟で、円形校舎3階建てが2棟、別棟2階建て1棟(低学年用?)屋内体育館1棟でした。
今では何もない美唄市我路。石炭産業で盛況だった頃の雰囲気は皆無です。
木々が生い茂る林の奥に沼東小学校はあります。
こんな所に何故学校?と思う様な場所となっていましたが、昔はこの周辺まで栄えていたんですよね。
数年前までは、一部のマニアの中でしか知られなかった沼東小学校。
今では全国区として有名に。その理由が昔から『心霊スポット』扱いされており、それをテレビに取り上げられたこと、形が円形校舎という珍しい形で印象に残りやすい事で全国的に有名な場所となりました。
ラクガキ厳禁
自分的にはここは何度訪れても素晴らしい学校廃墟です。心霊スポットなどというのはとんでも無い。悲しい事に落書きもそれによって増えている。勘弁して欲しい。
沼東小学校、我路が自分の今の活動に導いてくれたと言っても過言では無いほど、重要な場所なのです。見学するならひっそりと…。
春夏秋冬、それぞれ違う表情を見せる
校舎周辺も内部も時期によりまとっている雰囲気が大きく変わります。今回訪れたのは冬。
スノーシューを装着し、雪の上をガシガシと進む。たった数百メートル、スノーシューを履いてるとはいえ、雪の中を歩くのはなかなか疲れます。でも、そんな疲れが吹っ飛ぶのが冬の沼東小学校なのです。
と言うわけで、中に入ってみることにしましょう。いつ来てもこの場所はワクワクする。入った瞬間の気持ちは最初と変わらない。いつも新鮮です。
特に入ってすぐは…
余談
まんがサイエンスの浅利義遠先生も小学校4年生の時まで通っていたんですよ。浅利先生はTwitterもやっていて、そこで詳しくツイートされているので良ければそちらもご覧ください。
内部の様子はまた次回お届けします。
後半の記事はコチラ→美唄市我路『冬の沼東小学校』は美しかった(円形校舎)後半
※この先にも滝や、浄水場など、見所満載ですが、それもまた別の機会にお届けできれば。。
ニナ(himajine_syasai)でした!(←※Twitterやってます!良ければフォローお願いします!)
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