曲渕炭鉱とは
曲渕炭鉱とは日本最北端にかつてあった産炭地です。
夕張や美唄、三笠といった空知の有名な産炭地とは違いますが、
ここにはかつて千人規模の人々が暮らしたそうです。
炭鉱が閉鎖されてからは材木関係の仕事が多くなったと言われ
今でもそれらしき工場、置き場があります。
開鉱は昭和15年
天北石炭鉱業と宗谷曲渕炭鉱により出炭されていました。
天北石炭鉱業によって開鉱した稚内炭鉱は昭和27年7万トンを生産し最盛期を迎えます。
また宗谷炭鉱によって開抗した宗谷曲渕炭鉱は昭和32年にこちらも7万トンを生産し、最盛期を迎えます。
その後は
天北石炭鉱業は昭和33年に、曲渕炭鉱は昭和38年に閉山。
その後スキー場等もできたようですが、
今はそれも閉山されています。
曲渕炭鉱周辺を散策
曲渕市街地
まずは曲渕駅があった所から
(曲淵とも書く、【まがりぶち】ではなく【まがりふち】と読む)
まずは市街地の方へ…
この近くに学校があり通学路だった為かこのような不気味な人形が
手をあげて渡りましょうと言わんばかりに立ってます。
傷だらけの顔でコワイw
夜中に目が光ったりしそうです。
廃墟と共に普通に道路っ縁にある草ヒロ。
昭和の車ですね。車種は分かりませんが。
主が居なくなってからどれくらいの時間が経っているのだろう
建物はしっかりしているけどガラス窓が割れている
ここも廃墟である
屋根が歪み基礎も歪んできている家
土台から歪みいつ崩れてもおかしくない家
こちらも草ヒロ
ハイエースか何かだろう
曲渕炭鉱
曲渕炭鉱坑口があった方面へと向かってみた
こちらも草ヒロ
長渕剛のファンだったみたいだ。
2012年と書いてあるからそれまでは現役だったのだろう…
元商店。こちらも廃墟だ。
こちらは炭鉱住宅ではなくただの市営住宅の模様。
炭鉱近くにあるのでてっきり炭住かと思いきや、
閉山後に造られたものでは?との事。紛らわしい…
地元にもこんな市営住宅今でも残ってるもんなぁ…
一生懸命撮っちゃったよね
これでもかってくらいにw
この奥にホッパーらしきものがあるんだものそう思っちゃう。※動画参照のこと
(ホッパー【選炭・貯炭場】ではなく石炭から液体燃料を抽出する為の施設の一部だったそうで
結局の所は実現しなかった模様)
では更に奥へ。
閉山後に造られたらしい曲渕スキー場。
リフトの残骸が残っていた。
この上の斜面がスキーのコースだったのでしょうね。
奥に進むと不自然なコンクリートの地面が。
当然ここは炭鉱関連の施設があった場所だと思われるんですが、
実際は何に使われていた場所なのかはわかっていません。
基礎の鉄筋?が出ているので相当大がかりな設備があったのは間違いないんですが…。
所々突出しているコンクリート片が
ここがかつて人の手で何かしらされていた(鉱業的な)ものの証です。
この池だって単なる偶然で出来たものではないでしょう。
選炭する際に使ったりしたものなのか、水没させた何かなのか。
あちらこちらに
ありました。そしてあの謎の金属の枠は…。
結局何かは分からないのですが人工的に造られたと思って間違いないでしょう。
(石炭から液体燃料を抽出する時に使われた?とかなんとか聞いたような)
遠目に見たので分からないけどストーブっぽい
手元になんらかの資料があれば分かりそうなもんですが。
ちょっと斜面を登った所に
レンガ片と石炭片?が。
トンボっぽいマークのついたレンガ片。
こんなの見つけちゃうと坑口めっちゃ近いんじゃね?って思ってしまうのですが、、、
結論から言うと見つけられませんでした。
装備も甘かったし、奥の奥まで行くのは危険と判断しやめたものです。
もっと手前にあると思ったんですけどね。無念。
時期が変われば水没した場所も、このコンクリート片も、
見つけることは出来ないですし、危険ですね。
タイヤの跡ではなく、獣の通った道です。
恐らくこの近くに坑口あるはずなんですがねぇ。
無念のリタイヤです。
最後に坑口探索編を貼っておきます。
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