気づけば何度も立ち寄る町・歌志内市
気づけば、この町には何度も車を停めている。
ドライブで立ち寄る歌志内は、歩いて回るには広すぎて、だからこそ、自分の気になる場所だけを少しずつ味わうのが自分流になった。
「ゆめつむぎ」で炭鉱の記憶に触れたり、ロマン座の静けさに足を止めたり。
最近リニューアルした道の駅「チロルの湯」も、町の玄関口としてまた新しい表情を見せている。
どこも観光地としては控えめだけれど、何度訪れても、そのたびに違う風景と静かな余韻を残してくれる町だ。
【歩いた町で感じたこと】「歌志内市ヤバい」って本当?
ヤバい町という言葉の意味…。
「歌志内市」と検索すると、
最初に目に飛び込んでくるのは『歌志内市 ヤバい』という強い言葉。
その文字の迫力に一瞬たじろぐけれど、
実際に車を走らせて町をめぐってみると、
“ヤバい”というひと言ではとても言い尽くせない、現実と気配がそこにあった。
この町が「ヤバい」と言われる理由は、ひとつ。
全国で最も人口が少ない“市”であるという、確かな事実。
街なかに人の姿は少なく、シャッターの降りた商店や、使われなくなった建物が目に映る。
数字で語るなら、たしかに“衰退”という言葉も浮かぶのかもしれない。
けれど、歩いて感じるのは少し違った。
静けさの中に、ゆっくりとした暮らしの時間が流れていた。
空き家の向こうに、洗濯物が揺れているような風景。
道ばたには花壇や、雪囲いが残る家々も。
それは確かに、人の営みの痕跡だった。
以前、私のYouTubeには「歌志内は静かで暮らしやすい」というコメントも届いている。
そこには数字には映らない、この町の輪郭が映っていた。
減り続ける人口と町のリアル
歌志内の人口は、炭鉱の全盛期には4万人を超えた。
けれど今その数は3000人を割り、2000人も割ろうとしている。
学校が統合され、かつてあった鉄道の支線、駅も消え、町全体が静かに小さくなって行ってると感じる瞬間も無くはない。
それでも、
春になれば雪が溶け、誰かが道端に花を植える。
元歌志内駅周辺なんかはとてもキレイな花が花壇に咲き誇っているくらいだ。
夏には草むらの奥から涼しげな虫の鳴き声が響き、秋には色づいた山の端を車で抜けていく。
人が少ない分、空間には余白があり、
山の斜面がすぐそばまで迫ってくるような、地形の近さを感じる町だった。
炭鉱時代の住宅の名残が点々と残り、
裏手に伸びる細い道や石段の先に、人の暮らしの痕跡がひっそりと続いている。
歌志内のグルメと日常の温もり
スナックアルファー──地元の底力を味わう店
歌志内で「ご飯を食べられる」と聞いてピンと店名が出る人は、そう多くないかもしれない。
そこで紹介したいのが、スナックアルファーだ。
ここのメシは別格だ。
スナックと名乗りつつ、そのランチは町の「底力」を感じる旨さ。
初めて訪れたとき、正直言うと「お酒の店のランチってどうなんだろう」と半信半疑だった。
でも、出てきたご飯は、そんな疑いを秒で消し飛ばす美味しさだった。あの唐揚げは何度でも食べにいきたい。いや、他についてた小皿もどれもアタリだった。
スナックという名前に収まらない――いや、むしろ食堂以上といえる絶妙さがあって、
白飯なんて気がついたらおかわりしてた自分がいる。
こんな美味い『お通し』が出て来るんだもの、胃袋を掴まれた常連客が多くいるに違いない。
当時、町から「肉の木村」も消えて「名物の“なんこ”がもう食べられない…」とがっかりしていた地元の人も多かったようだ。
その空白を埋めるように、「スナックアルファー」がランチ営業を始めてくれた。
当時、コロナ禍という事もあったとは思うが。
地元で食のバトンを繋いでくれる、こういうお店を本気で大切にしたいと思う。
ランチタイムには、懐かしさも温かさも、ご飯の湯気といっしょに胸に沁みてくる。
小さな町の、静かなグルメの底力――歌志内の旅で、ぜひ味わってほしい場所だ。
道の駅「うたしないチロルの湯」──閉店からの復活
少し前まで「歌志内市 道の駅 閉店」というワードが検索されることも多かった。
けれど、今は違う。
リニューアルして再オープンした「チロルの湯」は、旅の途中の休憩所であり、町の小さな憩いの場でもあると思う。
すぐ裏にある温泉に浸かってドライブの疲れを癒したり、地元のお土産を買ったり――
外でぼんやりと町を眺める時間も、なんだか贅沢に感じる。
昔ながらの素朴な空気と、少し新しくなった施設が、町にまたひとつ今を灯しはじめている。
道の駅「うたしないチロルの湯」
郷土資料館「ゆめつむぎ」──消えかけた記憶をたどれる場所
「ゆめつむぎ」に足を踏み入れたとき、外の静けさとは違う、
どこかあたたかな空気に包まれたような気がした。
炭鉱でにぎわった時代の写真、使い込まれた道具、
祭りや暮らし、子どもたちの遊び──
一つひとつが、かつてここに確かに人がいたことを静かに伝えてくる。
受付に立っていた方もとても丁寧で、
訪れる人を温かく迎えてくれるその姿に、この町の人柄がにじんでいた。
館内をめぐるうちに、誰かが残した記録が、
今も誰かに手渡されていくような感覚があった。
「伝えること」は、過去を振り返るためだけではなく、
今という時間を、未来へとそっと届けていくことなのかもしれない。
悲別ロマン座(上歌会館)──町と人が守り続ける炭鉱町の映画館
町を走っていると、ふと現れる「悲別ロマン座」(旧・上歌会館)。
この建物は、昭和28年(1953年)、住友上歌志内鉱の職員厚生施設として建てられた映画なども上映された娯楽施設。
約370席を誇る収容人数で映画や演劇、コンサートが町の娯楽の中心だった。
炭鉱の閉山で町が静かになり、館の灯りも消えた時期がある。
しかし、地元有志の保存活動によってこの建物は守られてきた。
1980年代にはテレビドラマ『昨日、悲別で』の舞台として脚光を浴び、
「悲別ロマン座」として全国の鉄道・炭鉱ノスタルジーファンの聖地にもなった。
現在も、保存会や地域の方々の手によって丁寧に管理・維持されている。
イベントや一般公開の際には、地元の方が案内や運営を担い、
普段は静かな町のなかで、まるで時間が止まったような佇まいを見せてくれる。
映画の灯りが消えても、この場所だけは町の記憶をそっと抱き続けている。
「悲別ロマン座」に立つと、かつてのざわめきやスクリーンの光、
炭鉱町だった歌志内の“あの日の空気”が、今も微かに胸に流れ込んでくる。
なお、現在歌志内市は、
2024年秋、悲別ロマン座を「炭鉄港」日本遺産の構成文化財として文化庁に申請。
2025年1月には申請を改め、2月には協議会で追加申請も決定。
現在は2025年夏の認定発表を待つ段階だ。
認定されれば、歌志内の物語が「北海道の北の産業革命」として全国へ響く──そんな期待が高まっている。
「日本遺産」としての認定が、
少しだけドライブや観光の行き先に、この町の名前を加えてくれる──
そんな日が来るかもしれない。
もう一度歌志内で静かな記憶に出会う
何度訪れても、歌志内の町には静かな余韻が残る。
撮影しに行くことはもちろん、ドライブの途中でふと立ち寄ったり、
スナックアルファーので食事したり、
その時その時で何となく気になる場所に車を停めてみるだけ。
「ここが一番!」と言える圧倒的な名所があるわけじゃないけれど、
自分のペースで町の時間を味わうのが、私の歌志内市の楽しみ方かもしれない。
大きな観光地じゃないけれど、
誰かにそっと伝えたくなる、小さな記憶や発見が必ずある。視聴者さんから色々おしえていただくこともある。
この記事で町の空気や景色、リアルな体験が少しでも伝わったなら嬉しいです。
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ニナでした。(@himajine_syasai)←Xアカウントです。