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日高本線 本桐駅はなぜ廃駅に?――2025年夏に見た駅跡の風景

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img 5878.jpg 【探訪・記録】
日高本線本桐駅駅舎。目の前には電話ボックス。誰も利用することはないのだろう。

こんにちは、ニナです。
近況や撮影の風景は X(@himajine_syasai) でも発信しています。

もう2度と『列車がきます』が点ることは無い。

2025年8月31日。新ひだか町本桐で、わたしは本桐駅の廃駅跡に立っていました。耳を澄ませても発車の合図は聞こえず、かわりに風がホームの縁を撫でていきます。駅舎、ホーム、線路は今も形をとどめていますが、人の気配は薄く、雑草や蜘蛛の巣が時の経過を静かに物語っていました。駐輪場には数台の自転車が残され、生活の輪郭だけが空気のなかに淡く浮かんでいます。

本桐駅と電話ボックス。
使う人間はいるのだろうか。

本桐駅 廃駅の歴史と役割

本桐駅は1935年(昭和10年)に開業し、国鉄時代からJR北海道に引き継がれてきた駅です。周辺は農地が広がる内陸寄りのエリアで、通学や通院、買い物など日常の移動を支えてきました。単線が長い日高本線にあって、ダイヤ設定上の節目として機能した時期もあり、地域の足であると同時に運行上の要所でもありました。

もし復興していたら…どんな景色があったのだろう。

交換駅として担った本桐駅の位置づけ

本桐駅には、時期によって列車交換設備が設けられていました。(1980年代中盤まで静内ー様似間で唯一列車交換可能な駅だった)列車本数が限られる路線では、交換可能な駅がダイヤの呼吸を整える役割を果たします。通学時間帯の行き違い、繁忙期の臨時ダイヤ――そうした細かな現実を受け止める駅として、本桐駅は確かな存在感を持っていたようです。

1978年の本桐駅周辺地図。地図空中写真閲覧サービスより引用

本桐という地名の背景

本桐駅は1935年(昭和10年)10月24日、国鉄日高線(後の日高本線)三石—浦河区間延伸の際に開業しました。当時の路線にあって、本桐は「苫小牧から来る列車が最後に交換できる駅」として重要な機能を担っていました。また、地名「本桐」はアイヌ語「ポン・ケリ・オマ(芽生える小川)」に由来し、小川の近くで芽吹く植物になぞらえたという土地の記憶を帯びています。

自然に飲み込まれていく鉄路。

日高本線 廃駅となった理由

転機は2015年1月。厚賀〜大狩部間で高波による路盤流出が発生し、鵡川〜様似間は長期不通となりました。復旧には巨額の費用と継続的な防護が必要と見込まれ、輸送密度の低さも重なって課題は重くのしかかります。関係者の協議を経て、鉄道による運行再開は断念され、バス転換へ。2021年4月に鵡川〜様似間が正式に廃止となり、本桐駅は「駅としての役目」を終えることになりました。

2015年の高波被害と路盤流出

太平洋に面した区間は冬季の荒天やうねりの影響を受けやすく、被災箇所の復旧だけでなく、将来的な防護まで視野に入れる必要がありました。単に“直す”では済まない現実が、路線の将来像を大きく左右しました。

出典:Response.jp

出典:Response.jp(2015年9月14日掲載)「JR北海道、日高線の運休区間で路盤流出…台風17号で被害」

本文の中で「2015年9月、台風17号でさらに被害拡大が報じられた」

利用者の減少と復旧費用の壁

代替交通の整備や車社会の浸透もあり、利用者は長期的に減少。巨額の復旧費と低い利用とのバランスは厳しく、結果として「安全に持続可能な移動」をどう確保するかという現実的な選択が優先されました。本桐駅の廃止は、そうした判断の連続の先に置かれた結論です。

駅跡に残る本桐駅の風景

いまの駅跡には、駅舎、ホーム、そして線路が残っています。ホームの縁では雑草が腰の高さまで育ち、クモの巣が通路の角に薄い膜を張っています。掲示板の針跡、フェンスの錆、ホーム端の小さな段差――人が手入れを止めた空間は、音を失ってもなお多くを語ります。

雑草に覆われたホームと駅舎

本桐駅の駅名板。

ホームの敷石は見えていますが、全体としてはかなり草に覆われていました。駅舎のガラスには細かな汚れや埃が重なり、かつて人が行き交った出入口には、鍵がかけられています。列車がなくなっただけで、構造物はまだ「駅の姿」を保っている―。その落差に、時間の重みを感じました。

まだ現役でもおかしくないが…中を覗くと…
当然ながら中はがらんどう。

放置された自転車が物語るもの

駐輪場には、いまも数台の自転車が残されています。タイヤの空気は抜け、チェーンには錆が浮き、ハンドルの角度は少しずつズレている。誰のものだったのか、どこから通ったのか――答えは分かりませんが、そこに確かに日常があったことだけは伝わってきます。説明の言葉よりも、物の佇まいが語るものが大きい場所です。

遠目で見たら自転車置き場は現役か?と思ったが、実際は錆びており、タイヤもパンクして沈んでいた。

日高本線の駅跡を歩いて感じたこと

本桐駅は、2021年4月の鵡川〜様似間の廃止によってその役目を終えました。鉄路としての姿は消えても、駅跡には自転車や草に覆われたホームなど、かつての暮らしの痕跡が静かに残っています。

日高本線の駅跡を訪れることは、鉄道の記憶を懐かしむだけでなく、その土地で営まれた時間に触れることでもあると思います。黄昏時の本桐駅跡は、心の奥底のどこかで眠る懐かしさを呼び覚ましてくれる…そんな場所でした。

まだ列車が走ってきそう…,。

ニナでした!
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