ニナ(himajine_syasai)です。(←※Twitterやってます!良ければフォローお願いします!)
北海道、道北に位置し人口3000人程の和寒町。
そこから東、山奥に進むと東和地区(東和開拓)がある。
僻地等級2級の東和小中学校跡地(現生ごみ処理場)と更に奥へ進むと東陵地区という人口0人の廃村がある。
今回の目的地は僻地等級3級の東陵小学校跡地を目指す。
※東和小学校は大正6年6月1日開校 昭和51年3月31日閉校
※東陵小学校は昭和27年4月1日開校 昭和46年3月31日閉校
和寒町東和は歴史が古く、明治39年に笹や木々に覆われていた地域を刈り分け開拓された。
東和には刈分と呼ばれていた地区もあるようで、
笹や木々を刈り分けていた事からそのように呼ばれたようだ。(刈分道路と呼ばれる道もあるらしい…)
和寒町東陵は、戦争引揚者が終戦後入植、
形成された集落。戦後食糧難の為、増産の為に開拓された『戦後開拓集落』だった。
戦前は当然、ほぼ未開の地。
当時の子供たちは東和小学校まで通学していたが、児童達の通学距離を考慮して欲しいと要望し、
昭和27年開校となった。
しかし、離農者が相次ぎ開校から19年、昭和46年3月31日東陵小学校は閉校。
今は誰もいない無人の集落(廃村)となった。
今では小学校跡地の碑は残っているが、
遺構らしきものは草木に遮られ近づく事は容易ではなくなっている。
上の画像は元神社跡のとなりにあった(当YouTubeチャンネルの視聴者様の情報を精査)釣り堀と思われる場所。
東陵入口あたりにある廃屋。
大きな蕗に囲まれ行く手を阻む。
神社跡から東陵小学校跡地へは無人地帯だ。
神社手前、東和の伊藤宅は、今もここに暮らす農家の方の家だと思われる。
伊藤さんがこの地から離れると…。
東和・東陵は地図から無くなってしまうかもしれない。
ただ、自分が言うまでもなく画像・動画に残している有志がいるので仮に地図から消えたとしても、
データとして残っていくに違いない・・・・。
※動画、最初の方に出て来る集会所と思って壁によじ登り撮影した場所、
澱粉工場の名残の可能性があるようです。
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