室蘭本線の栗山駅と栗丘駅の間には、列車が走らなくなった線路と、アーチ形の開口部が連続するコンクリートの覆道が残る。旧栗山トンネルだ。
線路の両側に柱が並び、開口部から光が差し込む姿は、神殿の回廊を思わせる。この独特な構造物が残った背景には、石炭輸送を支えた鉄道の複線化と、1990年に起きた土砂崩れがあった。

旧栗山トンネルはどこにある?
場所はJR室蘭本線の栗山駅〜栗丘駅間。国道234号沿いの丘陵に、現役の新栗山トンネルと、使用されなくなった旧栗山トンネルが並んでいる。
道路側から見えるのが、コンクリートの柱とアーチが連続する覆道だ。斜面に沿って線路を覆いながら、側面に開口部を設けた構造になっている。奥へ続くレールと繰り返されるアーチが、ほかの廃トンネルとは違う景観をつくっている。

周辺は秋になると木々が色づき、道路の擁壁や防護柵が斜面に沿って続く。覆道の内部とは対照的に、外から見えるのは高い壁と丘陵の地形だ。鉄道を通すために切り開いた斜面が、いまも道路と線路の間に残っている。
明治時代に始まった栗山トンネルの歴史
栗山トンネルの歴史は明治時代にさかのぼる。栗山町の町史資料調査室が『広報くりやま』2026年6月号で紹介したところによると、最初のトンネルが造られたのは1891(明治24)年。北海道炭礦鉄道による建設だった。
周辺はかつて「トンネル山」と呼ばれ、大正時代にはトンネルにちなんだ土産菓子まであったという。今は使われていない鉄道施設だが、土地の呼び名にも関わるほど、当時は目立つ存在だったことが分かる。
室蘭本線の岩見沢〜室蘭方面が開業したのは、翌1892(明治25)年8月1日。北海道炭礦鉄道が石炭を太平洋側の港へ送り出すために築いた鉄路だった。トンネルの建設を伝える1891年という記録と、路線の開通した1892年は、開拓期の交通網が形になっていく連続した出来事である。
栗山が鉄道の結節点になった時代
1892年に室蘭方面への鉄道が開通すると、空知の石炭を港へ運ぶ道が広がった。それまでも石炭は小樽方面へ運び出されていたが、室蘭側にも鉄路が伸びたことで、太平洋側への輸送が可能になった。北海道炭礦鉄道が担ったのは、人や荷物の移動だけではなく、炭鉱と港を結ぶ大規模な物流だった。
翌1893(明治26)年には栗山駅が開設された。「炭鉄港デジタル資料館」には、これが栗山市街地の発展の起点になったと記されている。1902(明治35)年には二股炭鉱(角田炭鉱)から栗山駅へ石炭を運ぶ馬車鉄道も敷かれ、周辺の産業と鉄道駅が結び付いていった。
1906(明治39)年、北海道炭礦鉄道の路線は国有化された。その後も栗山駅の重要性は増し、1926(大正15)年には夕張鉄道が新夕張〜栗山間を開通。1930(昭和5)年には野幌まで延び、炭鉱地帯の貨物と沿線住民の移動を支えた。栗山は、室蘭本線と夕張鉄道が交わる交通の拠点になったのである。
旧栗山トンネルを単独の廃線跡として見ると、残されたレールに目が向きやすい。しかし、この線路の先には栗山駅があり、さらに夕張や岩見沢、室蘭の産業がつながっていた。覆道の役割も、その広い輸送網の中で考えると見えてくる。
1969年、石炭輸送のために複線化
戦後も室蘭本線には石炭や資材、農産物を運ぶ貨物列車が行き交った。栗山駅でも農産物や工業製品など多様な荷物が扱われ、町の産業を支える輸送拠点になっていた。列車の本数と輸送量を増やすには、反対方向の列車を駅で待たせずに行き違わせることのできる複線化が有効だった。
室蘭本線は、空知の石炭を港へ運ぶ重要な路線だった。北海道空知総合振興局の産業遺産調査資料によると、栗山〜栗丘間約4.2kmでは、1965(昭和40)年に増線工事が始まり、1969(昭和44)年に供用を開始した。
この付近が増線の最後の難所となったことには、地形も関係している。北海道空知総合振興局の産業遺産調査資料によると、室蘭本線は1958(昭和33)年までに三川〜志文間の25.1kmを除いて複線化が進んでいた。栗山〜栗丘間は、その残された区間の一部だった。
複線化以前にも、この区間では斜面の崩壊によって三度、合計七日間の不通が発生していた。新しい線路の計画には、線路の付け替えも含まれていた。
由仁〜栗山間5.1kmの増線は1968(昭和43)年に先行して開通した。この工事では、夕張鉄道との立体交差にも手が加えられ、1967(昭和42)年に橋脚や鉄桁の切り替えが行われている。石炭輸送を支える幹線の能力を高めるため、トンネルだけでなく周辺の橋や線路配置まで整備された。
工事で造られたのが全長1,053.5mの新栗山トンネル。一方、従来の栗山トンネルも、将来の交流電化を見込んだ断面に全面改築された。旧トンネルを下り線、新トンネルを上り線として使うことで、この区間は二つの線路を備えることになった。
工事の計画時には、さらに多くの列車を通すことが求められていた。ところが1969年の完成時、北海道の石炭産業はすでに転換期を迎えていた。将来の電化まで想定して改築されたものの、電化は実現せず、増やした線路が十分に活用されないまま時代は進んでいった。
工事の完成と重なった、石炭から石油への転換
1960年代の北海道では、輸送力を増やす鉄道工事が続く一方で、産業の土台となっていた石炭の需要が揺らぎ始めていた。エネルギーの中心が石炭から石油へ移る「エネルギー革命」である。国土交通省北海道開発局の資料によれば、1962(昭和37)年には全国のエネルギー供給で石油が石炭を上回った。
北海道の出炭量は、1966(昭和41)年に約2,295万トンでピークを迎えた。その後は減少へ向かい、1968(昭和43)年ごろから大手炭鉱の閉山も進んでいく。まさにこの時期、栗山〜栗丘間では増線工事が最終段階にあった。
1965年に着工した工事が1969年に完成するまでのわずか4年の間にも、石炭産業を取り巻く状況は大きく変わった。需要を見込んで増やした線路が完成したとき、その先にある炭鉱では縮小が進んでいた。旧栗山トンネルは、北海道の高度経済成長期と石炭産業の転換期が交差した場所でもある。
1990年4月23日の土砂崩れで、再び単線へ
1990(平成2)年4月23日、大雨によって旧栗山トンネル付近で土砂崩れが発生した。『北海道新聞』の同日夕刊を引用した鉄道史の調査記事には、栗山町桜丘で線路脇の崖が約15〜20mにわたって崩れ、下り線が不通になったと記録されている。
当日の『北海道新聞』夕刊を引用した鉄道史の調査記録によると、午前10時ごろ、栗山町桜丘で線路脇の崖が約15〜20mにわたって崩れたという。この日は北海道内の広い範囲で雨が強まり、鉄道各線で速度規制も行われていた。旧トンネルの事故は、局地的な設備トラブルではなく、悪天候の中で起きた斜面崩壊だった。
JR北海道は旧下り線を復旧せず、以後は新栗山トンネル側の線路を上下の列車が共用する形に変更した。1969年の複線化から約21年。栗山〜栗丘間は再び単線となった。

かつては輸送力を増やすために二つの線路が必要とされた区間である。しかし、1990年には石炭輸送を取り巻く状況が大きく変わっていた。旧線を復旧せず、新栗山トンネル側で運行を続けた結果、この区間は約21年ぶりに単線へ戻った。設備を増やした昭和40年代と、それを整理した平成初期。同じ線路が、二つの時代をつないでいる。
神殿のようなアーチの正体は「覆道」
写真で目を引くアーチの列は、斜面から落ちる土砂や岩石などから線路を守る覆道の一部だ。コンクリートの天井が線路を覆い、側面には半円形の開口部が連続する。山側を守りながら、外からの光を取り込める構造になっている。
この開口部のおかげで、暗いトンネルとは違って横から日光が入る。柱の影が枕木やレールに落ち、同じ形のアーチが奥まで続く。鉄道を守るための構造が、今ではこの場所を特徴づける景観になっている。

この場所の歴史には、明治の鉄道建設、1960年代の複線化に伴う旧トンネルの全面改築、そして1990年の不通という、三つの大きな節目がある。現在の連続アーチは、その変遷の中に残されたコンクリート構造物だ。栗山町の町史資料調査室も、2026年の広報誌で覆道を取り上げている。
写真に残るアーチ、レール、土砂
覆道を線路方向に見ると、アーチが繰り返されるたびに遠近感が強まり、奥の一点へ視線が集まる。側面の開口部から入った光が、枕木と砂利の上に落ちる。いくつも並ぶ半円形の窓は、長い回廊のような景観をつくっている。
さらに奥では、レールの延長線上に土砂や石が堆積する姿が見えた。1990年の崩落を伝える記録を読んでからこの写真を見ると、線路が使われなくなった理由が、構造物の姿からも伝わってくる。撮影時点の記録として、こうした細部も残しておきたい。
旧栗山トンネルに線路が残る理由
1990年の崩落後、旧下り線は使われなくなった。しかし覆道の中にはレールと枕木が続き、その先に土砂が堆積する姿が撮影できた。隣の新栗山トンネルでは現在も列車が走っており、使われなくなった旧線と現役の線路がこの丘陵で並んでいる。
同じ場所に、石炭輸送のために二つの線路が必要とされた時代の設備と、その後の単線運行が並んでいる。残されたレールは、かつて複線だった室蘭本線の歴史を伝えるものでもある。
旧栗山トンネルの主な出来事
- 1891(明治24)年:北海道炭礦鉄道が初代栗山トンネルを建設。
- 1892(明治25)年:岩見沢〜室蘭方面の鉄道が開通。
- 1893(明治26)年:栗山駅開設。
- 1906(明治39)年:北海道炭礦鉄道の路線が国有化。
- 1926(大正15)年:夕張鉄道の新夕張〜栗山間が開通。
- 1965(昭和40)年:栗山〜栗丘間4.2kmの増線工事着工。
- 1969(昭和44)年:複線化完成。旧トンネルを下り線、新栗山トンネルを上り線として使用。
- 1990(平成2)年4月23日:豪雨に伴う斜面崩壊。旧下り線が不通となり、その後単線運行へ。
見学時の注意
旧栗山トンネルは一般公開された見学施設ではなく、鉄道施設としての管理区域や、崩落の痕跡が残る場所を含んでいる。長年使われていない構造物は、見た目だけで安全を判断できない。訪問する際は現地の案内や立入規制に従い、危険な場所へ近づかないようにしたい。
国道234号沿いから眺めると、木々に覆われた斜面に覆道の姿が現れる。通行する車の多い道路なので、停車場所や撮影位置には十分な配慮が必要だ。掲載写真は現地を訪ねた際の記録として、当時の構造物の状態を伝えるものである。
同じ室蘭本線に残る旧トンネル
北海道の鉄道遺構には、旧線が残る場所や新しいトンネルへ切り替えられた場所がほかにもある。同じ室蘭本線沿線では、登別市富浦・蘭法華トンネルの訪問記も掲載している。
参考資料
- JR北海道「室蘭線(沼ノ端〜岩見沢間)アクションプラン」(路線開業・沿革)
- 炭鉄港デジタル資料館「栗山の鉄道・交通(1)」(栗山駅・夕張鉄道と地域の歩み)
- 北海道空知総合振興局「そらちミニ炭鉱史」(北海道炭礦鉄道と産炭地)
- 北海道開発局「北海道を揺るがすエネルギー革命」(石炭から石油への転換と出炭量)
- 栗山町『広報くりやま』2026年6月号・8ページ「町史の隠れ家 巨大なオブジェ『栗山トンネルの覆道』」
- 北海道空知総合振興局「炭鉱の記憶・産業遺産調査」(栗山〜栗丘増線の工事内容)
- 「室蘭本線栗山トンネル 豪雨が招いた崩落事故と単線化」(『北海道新聞』1990年4月23日夕刊を引用した調査記録)


コメント