ニナ(himajine_syasai)です。
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今回紹介する場所は北海道雨竜郡沼田町に存在した浅野炭鉱(新雨竜炭鉱)をご紹介します。
沼田町の歴史
沼田町は、北海道道央地域の中でも一番道北地域寄りにある稲作(農業)が盛んな町です。
炭鉱の歴史は古く、明治初期に米人技術ライマンにより雨竜川上流に炭田のあることを確認された事に始まり、昭和44年昭和炭鉱、九鉱太刀別鉱閉山まで約100年近い期間石炭の街として発展し続けて来ました。
浅野炭鉱歴史
以下引用
一代で浅野財閥を築いた実業家、浅野総一郎が大正時代に本格的な開発に着手。昭和5年(1930年)に開鉱した。出炭のピークは、昭和15年(1940年)の約18万トン。戦時中の無理な出炭などによる経営難から、古河鉱業に鉱業権が移った後、昭和37年(1962年)からは新会社の雨竜炭鉱が操業を継続。昭和43年(1968年)に閉山した。
炭鉄港 雨竜炭鉱HPより
最盛期には従業員が1500人を数えていた浅野炭鉱ですが、閉山年の昭和43年には227人だったそうです。浅野地区だけでも5000人が暮らしていたそうです。閉山後すぐに無人の集落と化してしまいます。
浅野(新雨竜)炭鉱は後に、沼田ダムの建設が進められ、浅野地区の旧市街地はホロピリ湖の湖底に沈みました。今回写真をお届けするのはその場所です。
湖面の水位が下がっていますが水没しています。
上から覗くと白黒写真の場所が
水没している事がだいたいわかりますがなかなか近づけません。
2019年7月頃に撮影したものもいくつか貼っておきます。
上の写真は辛うじて水没している様子が見えますね。
緑に囲まれる時期に行くと昔あったジブリ作品の中のような世界ですよね。
ちなみに選炭場とは石炭に混じっている不純物を取り除き品質別に『炭』を『選別』する『工場』のことです。
冬場も違う表情を見せてくれるのでいいですね。
コンクリート遺構の冷たさが伝わってきます。
ベルト斜坑。水没しています。
見所満載ですよね。
以上で今回の浅野炭鉱(新雨竜炭鉱)の紹介は終わりとします。
浅野炭鉱だけでもまだまだ追えていない遺構がある模様。
他にもまだまだ写真はありますが、
Twitter、Youtube残りは発信していければと思います。
ニナ(himajine_syasai)でした。
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追記:
新たに動画を編集したものを以前お伝えしたとおり、
アップロードしましたのでよろしければご覧ください。
(2023/05/26 21時より視聴可能になります)
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