朝食のあと、少しだけ庭に出た。
雪はだいぶとけてきて、芝桜の葉が顔をのぞかせている。
その上にたまった枯れ葉を、手でよけてみる。
乾いた葉の音と、土の匂いが春の訪れを知らせてくれる。
植物用の栄養剤を薄めて、軽くひとまき。
土が少し湿るだけで、空気が変わった気がする。
たいしたことはしていない。でも、
ほんの少しだけ自然と会話できたような、そんな気分になった。
土に触れるという、小さな習慣
裏庭のほうは、ようやく雪が全部とけた。
毎年夏になると、小さなバーベキュースペースになる場所だ。
今日はそこに、山わさびとヒトビロ(行者ニンニク)を植えてきた。
どちらも北海道らしい、匂いの強い野草。
うまく育てば、夏に肉と一緒に焼いて食べようと思っている。
鼻に抜けるようなツンとした辛みや、
青くて強い香りが、炭火の煙に混ざると――
「ああ、今年も夏が来たな」って、体のどこかが思い出す。
こんなことを、わざわざ書くほどのことではないのかもしれない。
こうして土に触れているときの気持ちは、
どこかに置いておきたいと思った。
派手ではない、何かを育てるという行為の中に、
自分の中の静かな喜びが根を張っている気がしてならない。
廃墟やレトロな風景もいい。
でもそれだけじゃなく、
廃集落や遺構、過疎地や限界集落――
気づけばいつも、“廃”のつくものばかり追いかけてる。
そんな日々の合間に、ふとこうして「いま」を残すのも悪くないな、と思った春の午前中だった。
こんなふうに、暮らしの合間にぽつぽつと書くような雑記も、
気が向いたら、またどこかで出てくるかもしれません。
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