こんな秘境になぜ駅が?留萌本線『峠下駅』へ。

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今回はJR留萌本線、峠下駅についてお伝えさせていただきます。峠下駅は留萌市留萌村峠下に所在していた駅です。

先日、2023/04/01日に留萌本線、留萌駅〜石狩沼田駅間が廃止となりました。(留萌は完全に関係なくなったのに今も留萌本線なのよね…)

留萌本線にはいくつか秘境駅と知られる駅が存在していましたが、峠下駅も全国秘境駅ランキングに数えられる一つで、ニナが何度か訪れている好きな駅の一つです。

なんというか…意味もなく遠回りして吸い込まれるんですよ。不思議な魔力が峠下駅、秘境駅にはある気がします。

峠下駅の歴史は古く、1910年(明治43年)にさかのぼります。鉄道留萌院 留萌線、留萌-深川間の開業にともない、留萌支庁初の開業駅となりました。

2000年代以降は、ほぼ無人地帯、秘境駅となり廃止されてしまいましたが、人家はもちろんのこと駅から1kmほど留萌方面(西方)に進んでいくと峠下小学校(駅逓)や神社も(手水鉢は残っている?)存在していたそうです。みなみに今は学校の跡地にいっても当然何もありません。

峠下駅の裏手には貯木場もあり木材搬出の拠点としていた時期もあり、小さいながらも市街地を形成していました。数百人も周辺に近く住んでいた時期もあったとか…(ほんとに?)

さらに、周囲には大小さまざまな炭鉱が存在した時期もありました。その当時は更に鉄路は複雑で、留萌豊平炭鉱鉄道なども峠下駅の近くから枝分かれしていました。その影響もあってか乗降客が多かったのでしょうか、昔は貨物・旅客ともに扱われていました。

周辺の炭鉱がなくなり周囲の街が消滅していくと、貨物は1977年(昭和52年)荷物・旅客は1984年(昭和59年)に廃止されてしまいます。当然無人駅となっています。

その後の集落は過疎化の一途。1992年には乗降客も1日2人、その後は1人以下となり存在理由が疑問視されていました。(この駅に限らずですが…)直近では1日乗降者数は0.4人だったとか…。

晩年の峠下駅の役割は乗降させるための駅というよりも深川留萌間では唯一交換可能駅となっていて、冬期間のみ除雪作業員が常駐、

雪の無い季節には閉鎖されている旧執務室が作業員たちの詰め所で、除雪作業をするための役割も担っていたようですね。

私のような鉄道のことを何もしらない素人にはなんの意味が?と思ってしまいましたが、最後の最後までみずからの役割をまっとうしたんですね。

このあとは自然へと還っていくのかと思うと寂しい限りではありますが、

約113年間、長い間お役目お疲れさまでした。私も最後の数年だけですが、秘境駅として楽しませていただき感謝しています。

2022年秋。

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