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日浦洞門とは?7つの素掘りトンネルが続く旧国道278号の歴史【函館市】

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函館市日浦町の日浦洞門。崖の岩盤に金属製の補強アーチが設けられた坑口が連続し、道路が奥へ伸びる。 【探訪・記録】
日浦洞門の入口。アーチの向こうに次のトンネルが続いている。

北海道函館市日浦町。海岸に迫る岩壁をくり抜き、7つのトンネルが連続する道路が「日浦洞門」だ。1929(昭和4)年に開通し、かつては国道278号の一部として使われた。現在は道道41号函館恵山線の一部となり、今も使われている。

トンネルの中から先を見ると、岩肌の暗がりの向こうに、次の坑口が小さく光っている。入口から出口まで、同じ形のアーチが幾重にも重なる場所もあれば、岩盤の表情がそのまま迫ってくる場所もある。今回は現地で撮影した写真と動画をもとに、日浦洞門の景観と、ここを通る道の歴史をたどってみたい。

日浦洞門の入口。山側の岩盤を掘り抜いたトンネルが次々に重なって見える。
連続する日浦洞門の坑口。開口部の奥に次のトンネルが見える。

海岸の岩盤をくり抜いた、7つのトンネル

日浦洞門は、函館市街地から恵山方面へ向かう日浦海岸にある。海へせり出した岩壁を掘り抜いて道を通したため、トンネルをひとつ抜けても、すぐ次の坑口が現れる。

日浦洞門は「素掘りトンネル」として知られるが、現在の内部には岩肌が露出した部分だけでなく、コンクリートの吹付けや鋼製の補強アーチも見られる。開通してからも、補強や改修を重ねて使われてきた道だ。

日浦洞門内部。金属製の補強アーチから先は岩盤の表面を覆う吹付け材となり、出口の光が差す。
内部の吹付け部分と鋼製補強アーチ。

内部の壁面は一様ではない。細かな凹凸が続く部分と、鋼製のアーチが規則正しく並ぶ部分が交互に現れる。海側の坑口では、道路と波打ち際との近さにも驚かされた。

日浦洞門の海側坑口。鋼製の補強アーチとコンクリートの壁、海沿いの消波ブロックが見える。
日浦2号トンネルの坑口。海側には消波ブロックが並ぶ。

次々に現れる5号・6号・7号の坑口

さらに先へ進むと、トンネルの入口に「日浦5号」「日浦6号」「日浦7号」の表示が現れる。山側の崖には落石防止ネットが張られ、海側には消波ブロックが並ぶ。雨で濡れた狭い道のすぐ横には岩壁、その向こうには海が広がっていた。

日浦5号トンネルの坑口。その先にも複数のトンネルのアーチが続いて見える。
日浦5号トンネル。アーチの連なりが奥まで見通せる。

5号トンネルから先を見ると、アーチの中に次のアーチが収まり、そのまた奥にも坑口が見える。岩壁をくり抜いたトンネルが一直線に並ぶ、日浦洞門ならではの眺めだ。

日浦6号トンネルの坑口。濡れた路面の向こうにもトンネルが見える。
日浦6号トンネル。湿った舗装路が次の坑口へ続く。

6号トンネルでは路面に水たまりが残っていた。出口の明かりの向こうにも岩壁が続き、崖のわずかな隙間から草木が伸びている。

日浦7号トンネルの坑口。岩肌の凹凸が見える崖の中を道路が通り抜ける。
日浦7号トンネル。露出した岩肌と補強アーチが近い。

7号は、連続する7つのトンネルの最後にあたる。坑口を取り囲む岩には大きなくぼみや細かな割れ目があり、その内側に鋼製の補強アーチが取り付けられている。

日浦洞門はいつ造られたのか

函館市の観光情報サイト「はこぶら」によると、日浦洞門は1929(昭和4)年に開通した。海岸に張り出す硬い岩盤を掘り、絶壁の続く海岸線に道路を通したのである。

『恵山町史』によると、豊浦・日浦間の海岸道路はカーブが多く、高波が道路まで押し寄せることもあった。雨が降ると落石の危険もあったという。海と崖に挟まれたこの場所に道を通すため、岩壁を掘り抜いて造られたのが日浦洞門だった。

日浦洞門の岩壁に沿った狭い道路。海側に鋼製の覆道と防護柵が続く。
岩壁のすぐ脇を通る道には防護設備が設けられている。

国道278号から道道41号へ――役割が変わった海岸道路

『恵山町史』によると、下海岸道路が国道278号に昇格したのは1970(昭和45)年。岩壁に沿って曲がる細い道も、恵山方面へ向かう主要道路の一部となった。1973(昭和48)年の日浦トンネル開通など、周辺の道路改良は進んでいたが、日浦洞門を含む豊浦・日浦間には高波や落石という課題が残っていた。

1980(昭和55)年11月には山側を通る新しいトンネルの工事が始まった。計画時の延長は1,355メートル、総工事費は約30億円。1985(昭和60)年にサンタロトンネルが開通すると、海岸沿いの旧国道を通り抜ける必要はなくなった。

翌1986(昭和61)年の豊浦バイパス完成後、この区間は町道となり、1987(昭和62)年1月12日付で道道函館恵山線に昇格した。かつての国道は、現在も道道41号として通ることができる。

国道が山側の新しいトンネルへ移っても、海岸沿いの旧道はなくならなかった。高い岩壁をくり抜いた7つのトンネルは、補修を重ねながら今も残っている。

サンタロトンネルという名前も、近くの海岸に伝わる「サンタロナカセ」の伝説に由来する。『恵山町史』には、漁に出たまま帰らない息子を待ち続けた父と嫁が岩になったという民話が紹介されている。道路やトンネルの名前にも、土地に伝わる物語が刻まれている。

落石による通行止めと、繰り返された防災工事

この海岸道路の歴史は、開通と新道への切り替えだけでは終わらない。『恵山町史』には、1997(平成9)年時点で、日浦洞門の約1.5キロの区間にある岩盤の亀裂や落石の危険性が問題になっていたことが記録されている。

日浦洞門の海岸道路。大きな岩壁の直下に屋根付きの防護施設が設けられている。
海岸道路のすぐ背後に迫る岩壁。落石対策の構造物が見える。

2001(平成13)年には1号トンネル付近で落石が続き、10月17日から通行止めとなった。町史には、7号トンネルの開削や落石防止ネット、1・2号トンネルの法面対策、3号トンネルのコンクリート吹付けなど、段階的な対策計画が並んでいる。

写真に写る鋼製アーチやコンクリートの吹付け、岩壁を覆うネットも、落石から道路を守るためのものだ。1929年に開通したトンネルには、その後の防災工事の跡が重なっている。

バスの経路変更が示した、道路のもう一つの転機

かつて日浦洞門には、函館バスの「下海岸線」が通っていた。トンネルの幅ぎりぎりを大型の路線バスが抜ける様子は、この道の名物でもあった。しかし、2025(令和7)年3月末をもって、下海岸線の91・91A系統は日浦洞門を通る区間を経由しなくなった。

新しい道路の開通や、古い道路の廃止は大きな節目として記録される。しかし日浦洞門は、道路そのものが残ったまま、使われ方が変わってきた。国道から道道へ。そして2025年には、長く通っていた路線バスも経路を変更した。道は残っていても、そこで見られる風景は少しずつ変わっている。

現在の日浦洞門を訪ねる

日浦洞門は、今も現役の道路だ。道幅が狭く、車がすれ違えない場所もある。また、高潮や落石で通行止めになる場合もあり、専用の駐車場はない。

カーブが多く、見通しの悪い場所もある。撮影するときは、通行する車や周囲の状況に十分気をつけよう。

動画で見る日浦洞門

次々と現れる坑口や、トンネルの内側から見える海岸の様子は、動画でも記録している。

場所・探訪マップ

日浦洞門は函館市日浦町の海岸沿いにある。位置はGoogleマップで確認できる。北海道各地の探訪地をまとめた「暇人マップ」も、日浦周辺を中心にして掲載した。

Googleマップで日浦洞門を開く

暇人マップを大きく開く

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同じ日浦海岸に残る柱状節理の岩壁については、道南金剛の記事で詳しく紹介している。

参考資料

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