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【士別市朝日町】夏の終わりの街歩き|旧佐藤医院と、お祭りの餅まき

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朝日町のお祭りで空に舞うお餅 【探訪・記録】

2026年8月下旬、北海道の士別市朝日町を歩いてきました。

ジャンプ台から町なかへ。道沿いには旧佐藤医院や朝日商工会館があり、この日は神輿や天狗の姿も見かけました。お祭りの餅まきでは、私もお餅を拾うことに^^

朝日町は、かつて「奥士別」と呼ばれた場所です。農林業とともに育ち、木材を運ぶ鉄道が通り、独立した町として歩んだ時代がありました。建物の来歴やお祭りに受け継がれている文化も交えながら、夏の終わりの朝日町を紹介します。

「奥士別」から朝日町へ――農林業とともに育った町

現在は士別市の一地域となっている朝日町ですが、もともと独立した自治体でした。その前には、上士別村の一部だった時代があります。

士別市の資料では、朝日町の開拓の始まりは1905年(明治38年)。御料地、つまり皇室の所有地だった土地が貸し下げられ、入植が始まりました。1908年にはマッチの軸木をつくる工場が創業し、翌1909年には水稲の試作も行われています。田畑を開くだけでなく、周囲の森林を生かす仕事も、早い時期から町の暮らしを支えていたんですね。[1]

1949年(昭和24年)に上士別村から分かれ、朝日村として独立。1962年(昭和37年)には町制を施行して朝日町となり、2005年9月1日に士別市と合併しました。現在の「士別市朝日町」という住所には、かつての町の名前が残っています。[2]

町を歩くとき、今の住所だけではわからないこともあります。「奥士別」と呼ばれ、朝日村、朝日町と名前を変えてきた土地だと知ると、通りに残る建物や看板も、少し違って見えてきます。

ジャンプ台から町なかへ。ここまで来ていた士別軌道

今回の街歩きは、こちらのジャンプ台から。下から見上げると、斜面の先まで長く伸びる姿が目に入ります。雪のない季節は、周囲の緑も鮮やかです。

ここから町なかへ向かい、道道61号線沿いを歩きました。途中で立ち寄ったのが、かつて士別軌道の駅があった場所です。現在の通りを見ているだけでは想像しにくいのですが、朝日町は鉄道の終点でもありました。

士別軌道は、山で伐採した木材を運ぶ目的で1919年(大正8年)に会社が設立され、翌1920年に士別~上士別間で馬車鉄道の営業を開始。1925年には奥士別まで延び、士別から全長21.4kmの路線となりました。奥士別はその終点です。[3]

さらに奥士別を起点として、山へ向かう森林鉄道も整備されました。山林と士別の市街地を結ぶ鉄路が、この町を通っていたということです。農林業の町という説明も、木材を運んだ鉄道の話と合わせると、ぐっと具体的になります。

士別軌道の鉄道は1959年(昭和34年)に廃止されました。会社はその後もバス事業を続け、社名に「軌道」の二文字が残っています。[8]

ただ「昔は列車が来ていた」というだけでなく、その線路には山の仕事と町の暮らしを結ぶ役割があった。そんなことを思いながら、今の道沿いの風景を見てまわりました。

朝日商工会館と、道沿いの風景

こちらは朝日商工会館。前には電話ボックスと赤いポストがあり、足元には花も植えられています。

市の地区別計画によると、朝日商工会の発足は1961年(昭和36年)、商工会館が完成したのは1985年(昭和60年)です。町制施行の前年から、商工会の歩みが始まっていたんですね。[1]

電話ボックスの中の緑色の電話も、今では目に留まるものの一つ。町で暮らす方には見慣れた景色かもしれませんが、旅先でこういう一角に出会うと、つい写真に残したくなります。

1930年に建てられた旧佐藤医院

町なかで足を止めたのが、こちらの旧佐藤医院です。白い外壁に赤い屋根、すっと伸びた煙突。窓の上の飾りや玄関まわりにも目がいきます。

士別市の広報資料では、この建物は1930年(昭和5年)に建築されたと紹介されています。朝日村として独立するよりも前、まだ奥士別と呼ばれていた時代の建物です。[4]

同じ資料で紹介されている「あさひ 郷土の資源を活かす会」は、2007年12月に設立。清掃・復旧に取り組み、2009年度には市民向けの内覧会を開いたそうです。資料が刊行された2013年当時には「市民のたまり場」として一般開放されており、町の人たちが建物を残し、使い続ける活動をしてきた場所でもあるんですね。

今回は外からの見学でしたが、入口に残る「佐藤医院」の文字も印象に残りました。診療を受けに来た方、家族に付き添った方、毎日この前を通っていた方。それぞれに違う記憶が重なる建物なのだと思います。

夏の終わりのお祭りと、富山につながる瑞穂獅子舞

町を歩いていると、お祭りの風景に出会いました。神輿のまわりに集まる法被姿の人たち。天狗もいて、道沿いの建物を背景に、いつもとは違う一日が広がっています。

「瑞穂獅子舞」のトラックもありました。今回は獅子舞そのものには出会っていませんが、この名前を調べると、朝日町への移住の歴史につながっていました。

市の文化財紹介によると、朝日町には富山県から移住した人が多く、ふるさとの越中獅子舞の技を持ち寄って舞をつくったそうです。1916年(大正5年)、奥士別神社の祭典で、五穀豊穣と悪魔払いを願って奉納したのが始まりとされています。瑞穂獅子舞は、士別市の無形文化財にも指定されています。[5]

遠い故郷から持ってきたのは、道具や家財だけではなかったんですね。暮らしを新しく築く土地でも、お祭りの文化が受け継がれてきた。その背景を知ると、トラックに書かれた名前にも、もう一つ意味が見えてきます。

空を見上げる、餅まきの時間

お祭りでは餅まきも行われていました。台の上から投げられるお餅と、それを見上げる人たち。写真には、お餅が空中に広がった瞬間が写っています。

飛んでくるお餅に手を伸ばす人たち。その中で、私もお餅を拾いました^^

町を歩きに来て、餅まきに参加することになるとは。建物や通りを撮るつもりで訪れた町に、お祭りの思い出もできました。こういう予定になかった出来事も、旅の楽しみですね。

あさひサンライズホール――地域の人も芝居をつくる場所

こちらは、1994年に開館した「あさひサンライズホール」。

地域の人たちも芝居づくりに参加するなど、演劇を通じた活動が続けられてきました。

こうした地域に根ざした取り組みが評価され、2005年には総務大臣賞も受賞しています。[6]

このホールの面白いところは、公演を観るだけでなく、地域の人が舞台づくりに関われることです。館長の寄稿によると、2003年度に演出家を招いて住民参加の演劇公演を制作し、その活動は「体験版 芝居で遊びましょ♪」シリーズとして続いてきました。参加者からは劇団や、舞台美術・小道具・衣装・音響などを担うチームも生まれています。[7]

町の文化というと、古くからのお祭りを思い浮かべますが、ここでは芝居を通して新しい活動も育ってきたんですね。瑞穂獅子舞とサンライズホール。それぞれに違う形で、人が集まり、表現を受け継いでいることが印象に残ります。

そして、このホールで撮った写真がこちら。餅まきで拾ったお餅です^^ 建物の写真に交じって袋入りのお餅が一枚。これを見返したら、朝日町で過ごしたお祭りの日も一緒に思い出しそうです。

朝日支所を通って、最後は朝日が丘スキー場へ

歩いた道沿いには士別市役所の朝日支所もあり、駐車場にはテントが張られていました。下に並んでいたのは椅子などで、売店というより、詰所のように見えました。用途まではわかりませんでしたが、ここにもお祭りの日の様子がありました。

町なかから最後に向かったのは朝日が丘スキー場。ゲレンデを下から見上げ、少し高くなった場所から町の方にも目を向けました。町を一望するほどの高さではありませんが、歩いてきた町を最後に少し違う位置から眺める時間になりました。

農林業と鉄道の時代から残る建物があり、故郷から伝えられたお祭りがあり、住民が芝居をつくるホールもある。朝日町では、昔からのものと、その後に育ってきたものの両方に出会いました。

朝日町を離れて暮らしている方にも、今ここで暮らしている方にも、今回の写真を楽しんでいただけたら嬉しいです。昔よく通った場所や商店街での出来事、お祭りの思い出があれば、ぜひコメントで教えてください。

歩いた道の様子をYouTubeで見る

今回の街歩きは動画でも公開しています。ジャンプ台から町なか、お祭り、朝日が丘スキー場まで、通りの様子を続けて見たい方はこちらもどうぞ。

▶ 士別市朝日町の街歩き動画を見る

朝日町の場所と、ニナの探訪マップ

訪れた場所を記録している「暇人マップ」です。朝日町のピンは、街歩きエリアの代表地点として朝日支所に置いています。動画とこの記事へのリンクも載せています。

▶ マイマップを大きな画面で開く

参考資料

撮影:2026年8月下旬/北海道士別市朝日町。写真・映像は撮影当時の様子です。歴史・文化の説明は上記資料を参照しています。

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