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サンルダムの湖底に現れた道と橋|珊瑠の歴史と水没した土地を訪ねる【北海道下川町】

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サンルダムの水位低下で現れた橋と曲がりながら湖に続く道路状の道筋 【北海道探訪】(エリア横断型)
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北海道上川郡下川町。サンルダムの湖面を見下ろすと、いつもとは違う光景が広がっていた。

水位が下がった湖に現れた、道筋と橋。そして、岸辺から水面へと続くように立つ、葉を失った木々。2026年に訪ねたとき、普段は見えないはずの土地の輪郭が、あちこちに浮かび上がっていた。

この湖が造られる前、周辺には「珊瑠(さんる)」と呼ばれる地域があった。そこには学校があり、郵便局があり、森林軌道が通った時代もあったという。今回撮影した風景を手がかりに、サンルダムができるまでの経緯と、珊瑠に残された人々の記録をたどってみたい。

サンルダムの湖底に現れた橋と曲線を描く道筋(2026年撮影)

水位が下がったサンルダムで見えたもの

まず目を引いたのは、湖に残る橋だった。橋の手前と向こう側には盛り土状の道筋が続き、奥では大きく弧を描いている。水面に近いところには木々の幹が残り、陸と湖の境目は入り組んでいた。

別の場所では、広く露出した湖底にひび割れた地面が広がり、その脇を一本の道が延びていた。水に沈んだ部分と、姿を現した部分とを見比べると、現在の湖にどれほど大きな地形の変化があったのかが伝わってくる。

水位が下がって露出した湖底と道路の跡(2026年撮影)

湖底に残る橋と、かつての道道60号

水の引いた湖に姿を現した橋。その前後には道筋が続き、橋を渡った先で大きく弧を描いている。周囲の風景だけを見ていると、現在の道路網から切り離されたように映るが、かつてはここにも下川と雄武を結ぶ交通路が延びていた。

サンルダムの建設に伴い、道道60号下川雄武線の一部は付け替えられた。工事は1999年に始まり、2008年に一部区間が供用開始、2012年10月には新しい道路が全線開通している。湖への試験湛水が始まったのは2018年6月だから、それより6年ほど前に、古い道は交通路としての役目を終えていたことになる。下川町「サンルダム周辺整備計画」に、その経過が記されている。

さらに、橋には名前の手がかりがあった。2022年に水位の下がった湖底を訪ねた地元の方は、そこに残る「かなみはし」を紹介し、昭和46年(1971年)施工と記録している。一方、古い橋梁資料には、1958年当時、サンル川に木造の「金見橋」が架かっていたとの記載がある。読み方も場所も重なることから、木橋が後年架け替えられた可能性が考えられる。2022年の現地記録/北海道の橋梁資料。

もう一つ興味深いのは、2026年9月に公開された現地記録だ。筆者は湖底に残る橋について、ダムができる以前に何度か渡ったことがあると振り返り、その道が雄武へ通じる道道だったと書いている。地元の人が実際に行き来した記憶が、今の湖底の風景とつながった。「夏の終わりのダム湖」(2026年9月13日)。

今回写真に収めた橋が、その「金見橋」と同じものかどうかは、まだ橋の位置や銘板で確かめられていない。ただ、橋の両端から続く道の形と、実際に水没した旧道道の記録を重ねれば、ここに見える道筋も、かつて車が行き交った道路の名残と考えるのが自然だろう。橋が架け替えられ、道が付け替えられ、やがて湖になった。数十年をかけて変わった交通の歴史が、この景色には残っている。

湖底に残る立ち枯れの木々と道筋(2026年撮影)

サンルダムはいつ、何のために造られたのか

サンルダムは天塩川水系サンル川に建設された多目的ダムで、下川町内にある。北海道開発局によれば、堤高は約46メートル、堤頂長は約350メートル、総貯水容量は約5,720万立方メートル。洪水調節、河川環境の保全、水道用水の供給、発電を目的とする。

建設事業は1993年に始まり、2018年6月に試験湛水が開始された。2019年3月17日に竣工式が行われ、同年4月から管理が始まっている。ダム湖の名は「しもかわ珊瑠湖」。その名には、かつてこの周辺で人々が暮らした地名が残されている。北海道開発局「サンルダムが完成」。

もう一つ、サンルダムには日本最北という特徴もある。日本ダム協会の紹介によれば、国が直轄管理するダムとしては国内最北端に位置する。北海道開発局も、日本最北の「台形CSGダム」と紹介している。

魚のために設けられた水路も大きい。サクラマスがダム湖を迂回して上流へ向かえるよう、ダム下流には階段式魚道、湖の脇には約7kmものバイパス水路が造られた。国土交通省はこれを「日本最大級の魚道」と紹介している。

かつて人が通った道の一部は湖底へ沈み、一方で魚が行き来するための新たな道が造られた。同じダムの周辺に、役目を終えた道と、新たに必要とされた道がある。水位の下がった湖を前にすると、そんなことも考えさせられる。

珊瑠には学校も森林軌道もあった

下川町が公開する『下川の石碑』には、2001年5月に建立された「珊瑠望郷之碑」の碑文が収録されている。そこには珊瑠という地名の由来と、地域の歩みが残されていた。

碑文によれば、1906年(明治39年)に岐阜県郡上郡北濃村などからの入植が始まり、1908年には珊瑠教育所が開設された。大正期には農地の開発や鉱業所の設置が進み、1933年には珊瑠十二線に郵便局が開設。1936年には珊瑠森林軌道が敷設された。

森林軌道は1956年に廃止され、珊瑠小中学校も1972年に統合のため閉校している。1984年の字名改正によって、それまでの「サンル」は漢字の「珊瑠」になった。

こうして年代を追うと、珊瑠の風景が変わり始めたのはダム建設よりずっと前だったことが分かる。森林軌道が廃止された1956年、学校が閉じた1972年、そして水没対象の家屋が移転を終えた2000年。ひと続きの「消えた集落」に見えても、その間には何十年もの暮らしの変化があった。湖の底に沈んだのは、そうした長い歴史の一部なのだ。下川町『下川の石碑』。

湖ができる前に、移転は終わっていた

サンルダムの水没対象となった家屋は13戸。北海道開発局によれば、住民の移転が完了したのは2000年だった。湖に水がたまり始める2018年より18年ほども前のことになる。

今は水面に覆われた土地も、人の暮らしが途絶えてからすぐに湖になったわけではない。家々の移転、道路の付け替え、ダム本体の建設と、長い時間をかけて風景が変わっていったのだ。

13戸とは珊瑠地区全体の戸数ではなく、ダムの水没対象となった家屋の数である。珊瑠と呼ばれた地域のすべてが水中に没したわけではない。それでも、山間の一軒一軒が移転し、通い慣れた道の一部が湖へと姿を変えたことに、土地の大きな変化が表れている。

「珊瑠望郷之碑」が残す土地の記憶

「珊瑠望郷之碑」は、下川町の北町象の鼻展望台に建つ。2001年5月に建立された碑で、下川町の資料には碑文とその位置が収録されている。

碑の正面には、故郷への思いを湖に託す言葉が刻まれているという。碑が建てられた2001年は、対象家屋の移転が終わった翌年であり、湖に水がたまり始める17年も前だった。水没を迎えるずっと前に、珊瑠で暮らした人々は故郷の記憶を石碑に残していたのである。

昔の道路の記録と、2026年の湖底を見比べる

ダム建設前の道道60号は、現在よりもサンル川の谷に近い場所を通っていた。2012年に公開された現地探訪記には、付け替え道路の工事がほぼ終わった頃の写真が残っている。新しい道路と旧道の接続部、水没予定となっていた区間を実際に走り、当時の様子を記録したものだ。「道北へ道道めぐり」(2012年)。

2016年にこの道を通った別の記録では、既に切り替わった新しい道道から、建設途中のダムを見下ろしている。そこには、現在も湖を横断する珊瑠大橋と、山腹を回り込む新しい道路が登場する。ダムに水がたまる前から、旧道と新道が異なる高さに分かれていたことが分かる。「サンルダム建設中」(2016年撮影)。

そして2026年。道路の役目が終わった後に形成された湖から、道筋と橋が再び姿を現した。現在の道道から水面を見下ろすだけでは分からない、湖底の地形の起伏まで見える。ダムの完成によって道そのものが消えたのではなく、水面の下に残された区間があることを実感する。

2012年には車で通ることができた旧道、2016年には完成していた山腹の新道、そして2026年には湖底から現れた道筋。写真を年代順にたどると、今の湖ができるまでに交通路がどのように移り変わったのかが見えてくる。湖面に現れた一本の道は、その変化を目で確かめられる場所でもあった。

北海道で水に沈んだ町は、夕張だけではない

ダム湖に沈んだ町と聞けば、夕張市の鹿島地区を思い浮かべる人もいるだろう。かつて炭鉱で発展した大夕張の一帯では、夕張シューパロダムの湛水によって、往時の道路や橋などが湖の下に入った。

しかし、北海道にはほかにも、ダム建設で土地の姿を変えた地域がある。沼田町の浅野地区では、炭鉱閉山後、旧市街地の一部が沼田ダムのホロピリ湖に沈んだ。

そして下川町の珊瑠では、平成に入ってから家屋の移転が進み、2018年になって湖に水がたまり始めた。鹿島は炭鉱、浅野も炭鉱、珊瑠は農業や林業、鉱業などを営んできた土地。それぞれが歩んだ歴史は異なるけれど、かつて人が行き来した道が湖の底に残されている点では通じるものがある。北海道で町や集落の景色が水の下に変わったのは、決して遠い昔だけの話ではない。

おわりに|水面の下にも土地の歴史がある

2026年のサンルダムでは、水位が下がった湖に道路と橋、立ち枯れた木々が姿を現していた。普段なら水面に隠れている土地の輪郭が、はっきりと見える光景だった。

かつて、この谷には下川から雄武へ向かう道があった。橋を渡る車があり、道の先には人々の暮らしが続いていた。新しい道道が完成した2012年から、湖へ水がたまり始める2018年までには6年の時間がある。いま見える道路は、そうして役目を終え、やがて水の下に隠れた交通路の歴史を思い起こさせる。

サンルダムが現在、洪水調節や水利用を支えていることも、この土地の大切な歴史の一部である。その湖が「しもかわ珊瑠湖」と名付けられたのは、湖になる前の地域の名を今に伝えることでもあった。

今は行き止まりのように見える一本の道にも、かつてはその先へ向かう理由があり、行き交う人がいた。水の引いた湖底には、そうした時代の風景が確かに残されていた。

見学上の注意:水位は運用や気象条件によって変わるため、同じ景色をいつでも見られるわけではない。水の引いた湖底や施設周辺には危険な場所や立入制限のある場所もある。今回の写真は湖底への立ち入りを勧めるものではない。

サンルダムの場所と、ニナの探訪マップ

今回訪ねたサンルダムは、北海道上川郡下川町の珊瑠にある。下の「暇人マップ」は、これまで北海道各地で訪ねた場所を記録している地図。サンルダム周辺が見やすいように表示している。

▶ 暇人マップを大きな画面で開く

▶ サンルダム管理支所の位置をGoogleマップで確認する(所在地:北海道上川郡下川町珊瑠1595番地)

地図はサンルダム周辺を示すもので、湖底に現れた橋や道の正確な撮影地点を示しているわけではありません。見学の際は案内表示に従い、立入制限のある場所には入らないでください。

ダム湖の水位は時期によって変わる。北海道開発局のサンルダム公開水位情報も確認できるが、数値だけで今回の風景が見られると判断できるものではない。

参考資料

  1. 北海道開発局「サンルダムが完成」
  2. 下川町「サンルダム周辺整備計画」
  3. 下川町『下川の石碑』

コメント

  1. […] サンルダムで湖底に現れた道と橋――珊瑠の歴史 […]

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