シューパロ湖の水枯れにより出現『南大夕張鹿島地区』散策

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廃墟遺構・限界集落・廃村・廃駅など『廃関連』

ニナ(@himajine_syasai)です。

過去の南大夕張鹿島地区とは

南大夕張鹿島地区と南部地区には、最盛期25000人の人々が暮らしていました。

その後、エネルギー政策の転換から、炭鉱は次々と閉山。すると、そこで暮らす人々は鹿島地区から、夕張から離れて行きます。

1972年、閉山直前には11000人程暮らしていた人々は、閉山が決まるとただちに転出。半分以上がこの地を離れ急速に過疎化していきました。

それでも、大夕張駅周辺は市街と呼ばれる程には都市機能は残っていました。

しかし1990年三菱南大夕張炭鉱が閉山すると、更に過疎化は深刻に。1500人を割り、1997年までの7年間で1000人以下と人口が流出。2021年現在では数百人がこの地を暮らすまで人は居なくなってしまいました。

かつての町はダム底に

1962年、大夕張ダムが完成することにより出来た人造湖シューパロ湖。(その大夕張ダムも今は水没してしている)

1990年にシューパロダムの計画、着手した事により、同年の炭鉱閉鎖と相まって過疎化は進んでいきました。

2005年より本格的にダム本体の工事に着手。2014年3月に試験湛水。

その翌年2015年には竣工式が行われ、シューパロダムが完成、

それによりそれまで現存していた『三弦橋』などが水没。水枯れの時期にならないと、当時の遺物は見ることすらできなくなっています。

シューパロ湖の水位が下がる事で約2年ぶりに姿を現す『三弦橋』約2021年9月撮影。

今はもう昔。何も見る事は出来なくなってしまいました。当時を想い、この地を訪れる人は数多くいるようですよ。

水位が下がって姿を現した過去の遺物たち

通称 キリ助

まだこの場所が現役時には、周辺は多くの花で彩られ美しい光景があったようです。

キャンプ場ではない。

鹿島宝町付近だと思われる。ここには多くの遺物が残されていました。

ちなみに、某保険金殺人の犯人の家は、この探索後、知る事になり撮影はしていません。

誇らしげに跨ぐ男の子の姿が見えそう。
自分でも尚、残る電気ポット。
旭ツバメ学生服

子供の頃(1980年代)は地元にも似たような看板はあったような気がする。

自分はトンボ学生服だったなぁ。。

風呂桶
レールの残骸らしきもの。
消火栓。

今でもこのタイプの消火栓はたまに、、、現役のものを見かけますね。

植物も何もない不毛地帯。

まるで、別世界に迷いこんだかのようです。遠くに、高く見える現国道が見える事で、この場所とのギャップを感じました。

湖から顔を出す電柱
葉を付けることは無い木。

不毛地帯過ぎて、別世界のよう。(二度目)語彙力も表現力もなさすぎるので同じ事しか言えない自分が恥ずかしい笑

上に架かるは、白銀橋。

歩いている場所は旧道です。天翔ける橋、上は天国への橋でしょうか?そして今いる場所は、別世(以下略 三度目)

トラス式の橋。

奥に見えるのは、現国道。1時間以上撮影しながら歩いても、ワクワクし過ぎて疲れないです。

あかしばし
昭和27年10月完成。

今から69年ほど前のものが、ひょっこり姿を現す夕張。感動しかないです。何も言えねぇ!

自然の中に力強くのびる人工建造物。

この場所はちょいちょい熊の糞の目撃情報が多発しているため、
もし興味を持って行く場合は、すぐ上に国道があるからといって油断せずに行って下さい。

【ダム底に沈む町跡 夕張市 鹿島地区】現地調査~渇水の廃都~第一弾

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